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CG’s EYE

「furel」に代わり今号から「CG’s EYE」がスタートします。これまでどおり、お子様をお持ちの保護者の方が「知っ得」教育情報を、原則月1回お届けしていきます。
今回は、「日本のグローバル社会」を見るうえで大切な考え方、そして高校生の進路選択について、國學院大學赤井益久学長先生の講演会ダイジェストをお届けします。

大学受験セミナー(主催:中萬学院大学受験指導事業部・神奈川新聞社)
國學院大學学長赤井先生講演会ダイジェスト
「歩いたところに道はできる 高校生の進路設計のために」

No.001 2015年08月24日

2015年6月6日(土)中萬学院本社大ホールにて開催

國學院大學学長 赤井益久学長先生

國學院大學学長
赤井益久

國學院大學大学院文学研究科博士課程修了。
國學院大學講師・助教授・教授、桜美林大学大学院講師、上智大学大学院講師、早稲田大学大学院講師を歴任。
主な著書:『中唐文人之文芸及其世界』(2014年、中華書局)、『中国山水詩の景観』(2010年、新公論社)ほか。
好きな言葉:「天生我才必有用」(天は我が才を生む必ず用いる有り)

冒頭、詩人高村光太郎の詩「道程」を紹介しました。
青春時代はだれでもが迷い悩むものです。本日は、その大切さを伝えにきました。そして皆さんにエールを贈りたいと思います。

皆さんが経験してきたこれまでの受験は、次のステップを上がるための手段という側面が強かったと思います。しかし、大学は出口がそのまま社会に続いています。大学に求められているのは、社会がどういう人材を求めているか、どのような能力を求めているか、それを端的に表しています。したがって、これから社会に出て行く皆さんが今の日本社会の状況を理解していなければ、社会で活躍できる人間になること、目標を持つことは難しいと思います。では、日本社会は簡単に言えばどんな社会でしょうか。一つは少子高齢化社会、二つめは大都市圏と地方都市の二極化、三つめにグローバル化です。そして四つめは、グローバル化に際して日本型モデルをどう考えるか。これは皆さんに問われている一つの課題だと思われます。そして五つめが不透明な見通しの利かない社会、その要素が増大しています。

これらを大学との関係で見ていきましょう。少子化により数の上では大学全入時代ですが、実際は違いますね。むしろ「選択の適切性」が高度に求められる時代だといえます。学生のミスマッチをできるだけ防ぎたいという思いが大学の教職員にはあります。

大都市圏と地方都市。政府は大都市圏の大学の入学者数を絞り、地方の国立大学は医師・薬剤師・教員など、地方に不可欠な人材を養成する目的養成系学部に絞る傾向があります。一方、哲学・倫理学・文学・宗教学など目的養成系以外の学部は、私立大学でやってくれということになります。勉強したい学びたいことと、就職とが必ずしも関係するとは限りません。私の大学でもキャリアデザイン科目の授業があります。これは進路を考えろということです。就職ももちろん含みますが、人生80年をどう生きるかを考えるべきだと申し上げております。就職のために勉強を選ぶのはひとまずおいて、自分は何がやりたいのか、どういう仕事に就きたいのかを考えることが大切です。

グローバル化と日本型社会

グローバル化と日本型社会

その次に、グローバル化と日本型社会について申し上げたいと思います。日本の社会で最も大きなグローバリゼーションは、明治維新です。アジアの国々は欧米のインパクト、ウエスタンインパクトと言いますが、それを等しく受けました。ある国は侵略されて植民地になり、ある国はそれに抗していく。抗しきれた数少ない国の一つが日本です。当時の日本人がグローバル化にどう対応していったか、そこに我々は学ぶべきです。

廃藩置県は明治4年、廃刀令は明治9年、大日本帝国憲法公布は明治22年。近代化には20年30年かかり、一朝一夕にグローバリゼーションができたわけではありません。その過程では、実は自国の文化を大事にしなさい、という人々がいました。欧化の波が降りかかったときに、それに流されるのでなく押し返せという人達がいたのです。日本の近代化が成功したのは、外からのインパクトと内からのインパクトがせめぎ合って近代国家を作っていったところにあります。そこに日本人の、海外の文化を吸収して発展させるという能力・応用力が発揮されたといっていいでしょう。

現在の日本におけるグローバル化を考えると、実はこのせめぎ合う、衝突するといいましょうか、どうもそれが欠けていると思います。批判的に検証することなしに欧米のスタンダードに倣うことがグローバル化であるというのは、正しくありません。もちろん優れたものを学ぶことは悪いことではありません。しかし、そこには独自に展開する地域性などがあります。自己認識、正しい他者認識の上にこそ、真のグローバル化が成立します。両者のぶつかり合いせめぎ合いがあって、協調・共生・多様性への理解が初めて出てくるのです。

今日のように一国だけで経済や政治的が完結しない時代において、この双方向性というのが非常に重要です。国民性でしょうか、日本人はややもすると自信がないんですね。しかし自分の主義主張をぶれないで、これからも続けていくことが大事だと思っています。

プッシュ型とプル型

私は常々、このグローバル化には二つの方向性があると思っています。英語が堪能で外国の商社に就職して輸出入の業務に当たるとか、海外に行って活躍するなど、今の日本のグローバル化はそういう「プッシュ型」しか指しません。もちろんそれも大事です。私は中国を専門とする学問をやってきましたし今も学んでいるので、その重要性は誰よりも理解しているつもりです。それでもなお、現在の日本社会はそのことに目が向き過ぎです。

一方、例えば外国人に日本語を教育する、日本文化を理解していただくというのも、立派なグローバリゼーションです。それを私は「プル型」と呼び、自分の大学で訴えていろんな施策をしています。我々は日本人として生まれ日本人として育ち、これから日本人としてグローバル化する時代に生きていかなければならない。自分を知らなければ、他人を知ることはできません。皆さんがアメリカに行ったとします。アメリカ人がアメリカの事を尋ねるでしょうか?「『禅』とは何?」「日本のSINTOってどんな宗教?」「どうして日本人は先祖を大事にするの?」こう聞く人が多いと思います。それらに答えられることが自己認識です。「プッシュ型」のグローバリゼーションは、毎日いたるところで見たり聞いたりしています。しかし「プル型」というのは聞かないし、私だけが言っているのかなと思うのですけれど、ぜひ自信を持ってこれからの将来設計をしてもらいたいと思います。

時間軸と空間軸

時間軸と空間軸

グローバル化に対応するには、これも私の持論ですが、二つです。今自分がどういう時間にいるのかという時間軸と、地球上のどの地域にいるかという空間軸です。我々は過去にさかのぼって生きることはできませんし、未来を先取りして生きるわけにはいきません。過去に学びながら今を生きる。より良い未来を目指して生きる。これが哲理です。古から今に至るまで、そして将来を規定する哲理です。現在は過去とは無関係ではありませんし、未来は現在の延長線上にあります。時間軸の意識とはそういう意味のものです。

私は横浜に生まれて育ちました。限られた空間で生きています。我々が生きる社会はあくまで部分ですが、時間軸と空間軸のどこにいるのかという認識が、実は大事なのです。自動車に乗るとナビがついていますが、ないときは人に聞き聞き進みました。実は大学での勉強というのは、それに似ています。手元の本に引用されている本を見る。またその本の引用を見る。そういうふうにあっち行ったりこっち行ったりして、少しずつ自分の知識や技術を獲得していきます。自分がどこにいるか、いきなりは分かりません。あちらこちらに行き全体がみえていく中で分かるものです。

企業の求める人材は

私は企業の社長さんとの対談で「御社ではどういう人材を求められますか?」と必ず伺います。私の学生時代は「スペシャリスト」でしたが、多くの社長さんは「ゼネラリスト」とお答えになります。総合的な何でもできる人、オールランドプレーヤー、ユーティリティープレーヤーとも言います。まさにゼネラリストは幅広い教養、全体が分かって部分が分かる人です。時間軸・空間軸を把握した上で自分が何を学ぶかというのが、幅広い教養を身につけることができ、専門は何に行っても皆さんはゼネラリストとしてスペシャリストになれる、ということです。大学選びにおいても、幅広い学習がきできるか、ということが選択肢の基準になります。

総合大学は総合的な学習ができるかと言うと、大きな大学であればあるほど完全に縦割りで、経済学部に入ればそれで完結し、その間の流動性はないか、あっても若干です。規模とか知名度などイメージだけで大学選びをするのではなく、その大学の雰囲気が自分にあっているのか、自分のしたい勉強ができるのかなど、実際に足を運んで確かめてください。

ポリシーと大学の学び

ポリシーと大学の学び

今年の1月16日に「高大接続実行プラン」が公表され、平成28年度からの大学の質的転換や平成30年度から32年度にかけて新たな大学入試の実施が示されました。実は、すでに大学はさまざまな改革に取り組んでいます。皆さんは「3ポリシー」を聞いたことありますか?入口のアドミッションポリシー、出口のディプロマポリシー、真ん中に当たる教育の中身がカリキュラムポリシーです。大学は主体的に考え問題を発見し解決する能力を有する人間を育てるため、3つのポリシーに沿っていろいろと試行錯誤しています。

現在の大学の教育は、パラダイムの変換が進んでいます。一つは教授者中心から学習者主体になっています。座っていて単位が取れるという授業は少ないですね。もう一つは定性的な評価です。Aをいくつ取っているとか単位をいくつ取ったというのは、定量的な評価です。定性的な評価は質です。一人の学生がどのような力を身につけたかを評価するということに変わってきています。

迷い考える大切さ

迷い考える大切さ

この不透明な21世紀をこれからみんなが生きていく上で何が大事か、やはり考えて考え続けていく、どうしたらいいかということを考え続けていくことです。皆さんは、入学以前にいろんなことを考え、思い、悩んでください。それが今の時代、今の年齢にすべきことなんです。進路のことであれば、まずは大学を知ること。そしていろんな知識を動員して保護者の方と相談する。私の学生時代に人気だった航空会社、銀行、放送会社のトップスリーは、経営破たんしたり行名が分からないぐらい吸収合併を繰り返したり低落したりしています。そして今の人気企業は、その当時にはなかった企業が多い。つまり10年前20年前の評価は今ほとんど意味をなさないのです。保護者の方は、お子様と進路を相談する際、自分の価値観を押し付けるのではなく、社会がどう変わっていくかをお話してほしい。それは子ども達にもおおいに役に立ちます。

私はそれこそ就職に直接結びつかない専門分野をずっと勉強してきました。幸せを感じているんですが、皆さんが新たな学びの道を選ばれるのに際して、最後にもう一編文学作品をご紹介しましょう。近代中国文学の産みの親であります魯迅の小説、「故郷」の一節です。

そうです。皆さんの前に道はありません。歩いたところに道はできる。前途を恐れることはありません。きっと多くの可能性に満ちた道が広がるはずです。独自の道を歩め。自分の人生を切り開け、自分の人生は自分しか生きられません。努力次第でだれもが到達しうる道に皆さんが到達できることをお祈りして本日のお話を終えたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

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