CG’s EYE
県立高校改革いよいよ始動 Vol.1
No.006 2016年01月29日
県立高校改革がいよいよ2016年度から12年間かけて進行します。そこでCG’s EYEでは、神奈川県公立高校入試と県立高校改革のこれまでとこれからを、2回にわたりみていきます。なお神奈川県には県立高校のほか横浜市立高校、川崎市立高校、横須賀市立高校があります。入試制度は県立・市立共通ですから「県立高校入試」ではなく「公立高校入試」。一方、県立高校改革は市立高校を除く県立高校を対象とした改革です。また、公立高 校入試制度は普通科と他の専門コース・専門学科等で異なる場合がありますが、本稿では普通科を中心に取り扱います。
「15の春は泣かせない」から始まる
【1】は県内公立中学校卒業生数の推移と、県立高校改革の実施時期、入試制度の変遷を示したものです。県内公立中学校卒業生数は1970年が約5万5千名、1988年が約12万2千名と実に2倍以上に増え、高校進学率も年々上昇する時代でした。この時代のスローガンは「15の春は泣かせない」。急増する高校進学希望者を高校へ進学させることが最大の課題でした。そこで1.高校の新設 2.効率よい入試制度によって対応していきます。
「県立高校百校新設計画」は1973年から15年計画で進行し、県立高校は76校から165校まで増えます。増やした高校に生徒をどう導くか、その役割を担うのが入試制度です。「神奈川方式」と呼ばれた入試制度は、進路指導の主導権を中学校側が持つことで、生徒をスムーズに高校へと導くことのできる制度だったといえます。
- 入試選抜資料での入試得点の比重を抑え、入試問題も基礎基本を中心に出題する
- 学区制を敷き、内申点と「ア・テスト」評点によって「輪切り」を容易にする
親御さんの多くは、この「15の春は泣かせない」時代の高校入試を経験された世代です。「15の春は泣かない」かわりに、その前の進路指導に泣く制度でしたから、9教科の学校成績をいかに取るかが高校進学の最大のポイントでした。その経験にとらわれすぎると、お子様の高校受験をミスリードする危険もあります。それほど、現在の神奈川県公立高校入試は様変わりしています。
ともあれ、神奈川方式は1997年の「複数志願制」導入まで、「県立高校百校新設計画」とともに一時代を築きました。
画一から個性重視へ
1980年代、日本社会は高度経済成長期から安定期に入る中で「余暇」「ゆとり」が重視され、週休2日制が広がっていきます。また、携帯電話の普及が象徴するように、「家電」から「個電」へと「個」が重視される時代へと移り変わっていきます。
公教育でも「ゆとり」と「個」が重要視されるようになります。1992年から第2土曜日が、1995年から第4土曜日も休校となり、2002年から学校週5日制がスタートしました。1992年の学習指導要領には、現在に続く「新学力観」が示されます。「学ぶ意欲も学力」だとする新学力観に基づき、学校では宿題ではなく「自主学習」になりました。学校成績は「関心・意欲・態度」「思考・判断」「技能・表現」「知識・理解」の4観点に基づく「観点別学習状況の評価」になります。生徒の学力を相対的に見るのではなく、観点ごとの目標に対して生徒一人ひとりがどれだけ到達しているかを測り、指導に生かすねらいがあります。学校成績も「個」が重視されたものへと変化していきます。
県内では、急増した公立中学校卒業生数が1988年をピークに今度は急減期に入り、わずか6年で3割以上減少し、8万名台となります。高校進学においても、個性を生かした進学が議論されるようになり、画一から個性重視へと少しずつ変化していきます。
神奈川方式に代わる入試制度は「複数志願制」と呼ばれ1回の選抜で2校を志願することができる制度でした。第1希望は目標校、第2希望は合格確実な高校というような志願が可能でした。その点では神奈川方式と同じ考え方と言えます。また「選考に当たって重視する内容」が登場します。これは第1希望定員の20%と第2希望定員の選考に際し、たとえば英語・数学の成績と学力検査の得点を重視するなど、各高校が自由に決めることのできるものです。受験生はその高校の重視する点と、自分の個性・適性を見て受験校を決めるというもので、入試制度にも「個」の考え方が初めて導入された制度と言えます。
中学校主導の神奈川方式時代から受験生主体の新入試制度へと大きく変化する、その端境期にあった複数志願制は、第1第2とも同一高校を志願するケースが年を追うごとに増えるなどし、わずか7年で新制度に移行することになります。
「15の春は自分で勝ち取れ」
2000年からは「県立高校改革推進計画」が10年計画で進行します。この計画は、2つの高校を再編・統合することで学校数を減らすとともに、新しいタイプの高校を新設するものでした。10年間で総合学科やクリエイティブスクールなど、特色を持った高校が誕生する一方で学校数は22校減少しました。
入試制度も高校ごとの特色をより反映できる、「前期・後期選抜」が2004年に導入されました。前期選抜は自己推薦型入試で面接と調査書を中心に選抜されます。それまで推薦入試は行われていましたが、いわゆる校長推薦で募集人数も限られていました。前期選抜は自己推薦型ですから受験生の意思で志願できること、また前期選抜の定員は20%~50%の範囲で各高校が決められたので、高校によっては最大50%が推薦で決定するという点が大きな変化です。後期選抜は学力検査と調査書を中心に選抜されますが、ここでも内申と学力検査の比率を4:6、5:5、6:4の中から決めることができるようになりました。さらに、英・数・国では共通問題より難度の高い「独自入試問題」の導入も可能となりました。受験生の学力を重視する高校では、前期選抜の定員を20%に抑え、後期選抜では学力検査の比率を6割とし、さらに独自入試を行う、ということが可能になったわけです。
このように各高校が選択する入試方法は、その高校の求める生徒像を色濃く反映したものになりました。すると神奈川方式時代のように同じスケールで生徒の受験校を振り分けることはできません。受験校選択の主導権は受験生側に移っていくのです。それを決定付けたのが2005年の県立高校1学区制です。受験生は学区に縛られることなく自分の行きたい高校を受験できるようになったわけです。
中学校側に主導権のあった「15の春は泣かせない」時代の高校受験から、受験生側にその主導権が移った前期・後期選抜。それは「15の春は自分でつかむ」高校受験への大転換でもあったのです。
前期・後期選抜は2004年から2012年まで9回行われます。その間、2002年学習指導要領の「ゆとり教育」による学力低下問題が社会の関心事になります。また、「分数のできない大学生」という言葉がはやったように、推薦・AO入試で入学した学生の学力問題もクローズアップされます。意欲か知識かといった二項対立的な学力論争から、どちらも大切という至極当たり前の学力観に向かう中、前期・後期選抜もその役割を終えることになります。
次回は現行入試制度誕生の背景と2016年度から始まる県立高校改革についてみていきます。