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CG’s EYE

特別企画 JAXA名誉教授松本先生インタビュー

No.012 2016年08月01日

「JAXA」名付け親の一人、松本先生が、CHUMAN生に伝えたいこと

生涯をかけてただひたすらに自らの探究心に向き合い続ける人がいる。松本敏雄JAXA名誉教授。70歳を過ぎた今なお、世界の研究の最前線に立って宇宙の謎に挑み続けるサイエンティスト。名古屋大学、東京大学、ソウル大学など数々の研究機関で多く研究者を育て上げてきた教育者でもある。小学3年生の時に芽生えたという物理学への飽くなき探究心、サイエンティストとして歩んできた研究の足跡やスペース天文学の最前線について、世界の優秀な学生たちと触れ合って来たからこそ見える今の日本の課題や強みなど、皆さんの今と未来に役立つヒントが満載の中萬代表との特別対談です。

写真:中萬代表と松本先生の特別対談
月に1度は宇宙や芸術など語り合うという中萬代表と松本先生の特別対談。2016年5月26日取材

物理学を志したのは敗戦直後の小学3年生でした。

中萬:本日はよろしくお願いします。さて早速ですが、松本教授は70歳を過ぎた今なお、スペース天文学の分野で世界の最前線を走り続けていらっしゃるのですが、その探究心はいつごろ芽生えたのでしょうか?

松本:小学3年生の時なので、昭和24年かな。その年に湯川秀樹さんがノーベル物理学賞をとられて、それで僕も物理学をやろうと思ったのがきっかけです。

中萬:えっ、小学3年生で物理学ですか?それは珍しかったでしょうね。

松本:いいえ、当時は終戦直後で日本はまだ貧しく敗戦で落ち込んでいた時期で、日本の科学者が世界のノーベル賞を受賞したというニュースは本当に衝撃的でした。だから私だけでなく、かなりの男の子が自分も本気で物理学を学んでノーベル賞を目指そうと思ったはずですよ。

中萬:まさに敗戦後の希望の象徴だったわけですね。確かにその後にノーベル賞をとられた日本人の方にその世代の方が多いのも、湯川さんの影響があるのかもしれませんね。

松本: 湯川さんが素晴らしいのは戦時下の日本での国内の研究で受賞をされているということ。他のアジア諸国でもノーベル賞を受賞している研究者はいますが、そのほとんどがアメリカやヨーロッパの研究所での成果です。今でも日本では国内での研究から多くのノーベル賞受賞者を輩出しているのは、最初のノーベル受賞者である湯川さんからの伝統といえるかもしれませんね。

物理学を探究していたら宇宙にたどり着いていました

写真:JAXA名誉教授松本先生インタビュー

中萬:こうして物理学を志しはじめた松本少年ですが、少年時代はどのように学問と向き合われていたのですか?

松本:数学や理科はもともと好きだったので興味に任せてという感じでした(笑)。あと本はたくさん読みましたね。毎日図書館に行っては、少年少女文学全集や子どもの科学など、片っ端から読みあさりました。

中萬:科学者というと一般的には一分野の知識に特化したエキスパートというイメージがあるのですが、教授の教養は芸術から文学にいたるまで全方位的に造詣が深い。私も本を読む方なのですが、教授にはとてもかないません。そしてその深い教養の土台にあるのは間違いなく膨大な読書量だと思います。ところで多感な少年時代に読書を通じてさまざまな分野の知識に出合う中で物理学以外の分野に興味・関心が向くことはなかったのですか?

松本:途中で数学や化学に憧れた時期もあったのですが、やっぱり自分には物理が向いているという結論にいたりました。

中萬:そうして名古屋大学理学部物理学科に進学され、そこから学問の対象が物理学から宇宙物理学へと移り変わっていくのですが、これにはどのような経緯があったのでしょうか?

松本:学問の対象が移り変わったという認識はありません。というのも最近の天文学というのは物理学そのもの。宇宙が膨張する、ブラックホールがある、星が爆発する、これらはすべて対象が宇宙というだけで研究する手段は物理学です。

中萬:なるほど。モノの変化だから宇宙の動きは物理で証明できると。つまり宇宙に関心が向いたのではなく、物理学への探究を深めていったら対象が宇宙になっていったということなんですね。

最新の研究成果が世紀の大発見になるかもしれません!

写真:JAXA名誉教授松本先生インタビュー

中萬:その後、進学された大学院ではどのような研究をなさっていたのですか?

松本:スペース天文学で、宇宙にロケットで望遠鏡を打ち上げ、天文観察を行う分野です。私が大学院生だった当時、名古屋大学にはこの分野における日本の第一人者である早川幸男先生がいらしたので、日本ではじめて宇宙に望遠鏡を飛ばして天文学を行うというプロジェクトに携わりました。

中萬:その中で教授はどういった役割を果たされたのですか?

松本:私の専門は赤外線の波長で観測する赤外線天文学です。赤外線は目には見えませんがすべての物体や大気からも放射されています。ですから地上から赤外線観測を行うと、大気で吸収されるだけでなく、他の赤外線放射に邪魔されてしまいます。

中萬:だから望遠鏡自体を宇宙空間に飛ばしてしまおうと。

松本:そういうことです。ただしそれでも観測をする望遠鏡自体が発する赤外線に観測を阻まれてしまう。

中萬:望遠鏡も物質ですものね。

松本:そこで私が開発したのが液体ヘリウムを使って望遠鏡を冷却し、望遠鏡の赤外線放射をなくすという技術です。これにより今まで見えなかった遠くの星や銀河の観測が可能となり、新たな宇宙の謎を発見することができました。

中萬:新たな宇宙の謎とは?

松本:私は宇宙の明るさについて研究をしているのですが、星と星、銀河と銀河の間に暗闇の空間が広がっているでしょう。その暗闇は実は真っ暗ではなく、知られている星や銀河の光では説明できない“明るさ”や “明るさのムラ”があることを発見したんです。

中萬:明るさのムラについては以前新聞で拝見しましたが、いまだに原因は究明できていないのですか?

松本:はい。ただし私はごく最近、今まで知られていなかった無数の暗い天体が存在することを発見しました。もしかしたらその暗い天体が未知の明るさや明るさのムラをつくっているのではないかと考えています。

中萬:素晴らしい!まさに世紀の大発見かもしれないということですね。

日本の研究レベルは常に世界水準。


写真:打ち上げ前の集合写真 前列右から2人目が松本先生
打ち上げ前の集合写真 前列右から2人目が松本先生 写真提供:松本先生

中萬:このように教授は世界の最先端の研究に携わる研究者としての顔とともに、日本では名古屋大学、東京大学、台湾では台湾大学内の政府直系の研究機関、韓国ではソウル大学の天文科学教室とそれぞれの国の若手の研究者を教育し、ともに研究を行う教育者としての顔もお持ちです。世界の多くの優秀な学生たちと触れ合う中で、日本の若者についてどのような印象をお持ちですか。

松本:台湾や韓国の優秀な学生は皆アメリカに留学して学位を取ります。だから皆一様に英語が上手い。一方で日本は先ほどの湯川秀樹さんの話にも通じるのですが、伝統的に国内で行われている研究や教育の水準が高い。つまり海外に出なくても世界の最先端の科学を日本語で学べてしまうんですね。だから、日本の学生は非常に優秀ではありますが、英語に関しては一歩劣るという印象はあります。今まではそれでも良かった部分もあるのですが、最近は研究の進展がずっと早くなり、研究成果の発表も一刻を争う状況になっています。論文を書くのも、研究会での発表・議論もすべて英語なので、英語力の向上が日本の学生にとって一つの課題だと思いますね。

中萬:研究の世界もグローバル化が進んでいるのですね。その一方で、なぜ日本は常に世界水準の研究レベルを保ち続けることができるのだと思われますか?

松本:自由度が高く、高度な研究環境の土壌があるということはもちろんですが、何より目先の利益だけを追い求めずに純粋な知的好奇心から学問を探究することができる国民性が大きいでしょうね。

中萬:確かに。それが21世紀以降の自然科学の分野でアメリカに次ぐ世界第二位のノーベル賞受賞者を輩出していることにつながっているのでしょうね。

未来に不安はありません。たくさん本を読んで、多くのチャレンジを!

写真:初代プロジェクトマネージャーとして携わった赤外線天文衛星「あかり」観測装置の組み立て(後列)
初代プロジェクトマネージャーとして携わった赤外線天文衛星「あかり」観測装置の組み立て(後列) 写真提供:松本先生

中萬:最後にこの記事を読んでいる生徒たちにメッセージをいただけますか?

松本:わたしは今、たまたまスペース天文学の研究者となっていますが、小学3年生のときに物理学に興味を持って以来、今日まで自分の好きなことをやってきただけなのです。現代は物や情報にあふれ、昔と違って選択の自由もいっぱいあり、世の中にはまだまだ多くの課題も夢もあります。きちんと目を凝らして探してみれば、豊かさの中にもそれは見つけられるはずです。今も昔も若者はがんばっています。未来に不安はありません。ぜひ多くの本を読み、さまざまなことに関心を持ち、多くのチャレンジをしてください。そしてその中で、自分の適性を見い出し、情熱を持って探究をしていってください。これからの皆さんに期待しています。

中萬:教授、今日はどうもありがとうございました。

松本:ありがとうございました。

プロフィール

松本敏雄氏(天文学者・JAXA名誉教授)
愛知県名古屋市出身。1964年名古屋大学理学部物理学科卒業、同大学院にて早川幸男に師事し、博士号を取得。名古屋大学教授を経て1996年宇宙科学研究所教授、東京大学併任教授。宇宙航空研究開発機構(JAXA)は2003年に同研究所と航空宇宙技術研究所、宇宙開発事業団が統合され発足したが、その名づけ親の一人でもある。JAXA発足から宇宙科学本部教授の要職に就き、2005年退職、名誉教授となる。赤外線天文学で数々の功績を残し現在も第一線で研究に従事する。東大やソウル大学、台湾中央研究院などで後進の育成にも努めている。

写真:中学生時代に通っていた塾の小林先生とその家族とのスナップ(後列右側)
中学生時代に通っていた塾の小林先生とその家族とのスナップ(後列右側)
写真:JAXA名誉教授松本先生インタビュー
写真:【あかり観測画像】
写真:【あかり観測画像】

【あかり観測画像】渦巻き銀河M81の近・中間赤外線画像
遠赤外線サーベイヤは、情報通信研究機構からの検出器提供を受け、名古屋大学、JAXA、東京大学、国立天文台等により開発されました。また近・中間赤外線カメラは、東京大学、JAXA、等により開発されました。「あかり」の運用とデータ処理は、上記国内研究機関と、欧州宇宙機関(ESA)、英国Imperial College London, University of Sussex, Open University、オランダUniversity of Groningen/SRON、及び韓国Seoul National Universityとの国際協力により行われています。 ©JAXA

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